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葛西紀明 レジェンドと呼べるのは葛西だけ 引退じゃない復活だ

葛西紀明さんは、日本のスキージャンプ界において特筆すべき選手の一人です。彼の名前は、数々の偉業やその精神力によって、日本中だけでなく世界中に広く知られています。この記事では、葛西紀明さんの素晴らしいキャリアや彼がスポーツ界にもたらした影響、なぜレジェンドと呼ばれるのか、気になる家族について、詳しく見ていきましょう。

葛西紀明の経歴

葛西紀明さんは、1972年6月6日に日本の北海道で生まれました。彼のスキージャンプのキャリアは非常に長く、若い頃からその才能を開花させていきました。1988年に高校生で国際大会でデビューし、以後数々の大会で活躍を見せました。

1992年のアルベールビルオリンピックで初めてオリンピックに出場し、その後もオリンピックに何度も出場しています。特に1994年のリレハンメルオリンピックで団体戦で銀メダルを、41歳で出場した2014年のソチオリンピックでは個人で銀、団体で銅を獲得し、日本中に感動を与えました。

なぜレジェンドと呼ばれるのか

葛西紀明さんは、そのキャリアの中で数々の偉業を達成してきました。彼の最も著名な偉業の一つは、Ⅴ字ジャンプではなくクラシカルスタイル(スキー板を広げずに飛ぶ)でw杯や国際大会に出ていることです。目の前にあるスキー板を広げることはクラシカルスタイルに慣れたひとにとって恐怖以外の何物でもありません。Ⅴ字に移行できずに辞めていった選手も沢山いました。

でも、葛西紀明さんはⅤ字を習得するだけでなく、横から見ると前傾を深くしスキー板より頭が出るようにして、他の選手が真似のできないレベルまで攻め込んでいきました。これが他国の選手からカミカゼと言われた理由です。今は違う飛行姿勢になりましたが、一気に知名度を高めました。

クラシカルとⅤ字の両方で世界と戦ったのは今となっては葛西選手しかいません。30代後半で現役を終えるのが普通の競技で、葛西紀明さんは40代でオリンピックメダリスト、50代でのw杯でポイントを取るなど生ける伝説なのです。だから海外のファンからレジェンドと呼ばれるのですね。

なぜ長く続けるられるのか

葛西紀明さんの成功の裏には、彼の強い精神力と決断力があります。彼は数々の困難や挫折に直面しながらも、常に前向きな姿勢を貫きました。そのため、彼の競技人生は多くの若い選手やファンに勇気と希望を与えるものとなりました。

裕福ではない家庭で育ち、火災により母を病気で妹を亡くしています。病気と闘う妹に金メダルを見せてあげたいの一心で競技に臨んでいた時期もありました。でも一番は負けず嫌いな性格と誰にもできないことをやりたい気持ちが強く、特に金メダルへの執着は人一倍でした。

オリンピック、世界選手権での金メダルはありません。唯一フライング世界選手権での金メダルがあるだけです。

9回目のオリンピックにむけて

2024ー2025年はオリンピックにむけて重要なシーズンです。葛西紀明さんはワールドカップメンバーにあと一歩のところまで復活してきました。ジャンパーにとって体重管理は重要です。50代での試行錯誤なんてだれもやったことがありません。それをここまで持ってくるのですからやはりレジェンドなんです。本人も9回目のオリンピックにむけてワクワクしていると自信のある表情を見せていますので、ファンとしては期待せずにはいられませんね。

家族について

葛西紀明さんは、ソチオリンピックのあと結婚して娘と息子に恵まれました。日本国内で非常に人気があり、国民的英雄として尊敬されています。特に同年代からの注目度は高く、多くの日本人にとって励みや誇りとなっています。

ちなみに複合の葛西姉妹と親子ではなく親戚でもありません。

まとめ

葛西紀明が「レジェンド」と呼ばれるのは、彼がスキージャンプ界に多大な影響を与え、誰も成し遂げたことがない高みに到達したことに由来します。いま日本のメディアでは○○界のレジェンドとベテランと同義語の様に使われていますが、葛西紀明さんの偉業に並べるアスリートはいません。ベテランとレジェンドは違います。彼の長いキャリアと卓越した成績は、日本のスポーツ史のみならず世界において不朽のものとして位置付けられています。彼の競技人生は、後世に語り継がれるでしょう。

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